自分の意思とは全く関係なく「3歳になったら礼儀作法を覚えさせるためにやらせる」という祖母の意向で生田流箏から始まった私の音楽人生。
3歳当時、楽譜(箏の楽譜は普通の五線ではない特殊なもの)がなくても師匠が弾いてくれればその通り弾ける…という天才少女っぷりをみたお師匠さんが
「この子は将来音楽でやっていくかもしれないよ」
と母にお告げがあったそうだ。
その後5歳になった頃、姉が習いたい!と始めたオルガン教室について行き、そのまま自分も習わされるハメに。
特にやりたい訳でもないので電子オルガン教室はどうやってサボるか…ばかり考えていた。
町の音楽教室、とにかく取っ替え引っ替え先生が目まぐるしく変わるのだけど
小6まで通った中でほんの数年やる気のようなものを見せた時期があった。きっと先生と相性良かった時期。
練習なんてほぼやらなかったのに、1週間だけ毎日10〜30分くらい練習した時があって
その時のレッスンは先生にめちゃくちゃ褒められたのを覚えています。
エレクトーンで弾くのは今流行りのポップス、映画音楽・・・がほとんどで、その時知った往年の名曲たちを今仕事で演奏する機会の多いことと言ったら。今となってはやってて本当に良かった。
中学に入り
「あの大きくてキラキラしている楽器がやりたい!!」
とバリトンサックスに一目惚れしたのがサックスをやり始めたきっかけで
その頃「音大に行く!」と決めた。
高校も当時できたばかりの音楽科がある公立(藤井風さんの母校)に行きたい希望だったのだけど、その当時成績の良かった私に大人たちは「できたばっかりのまだどうなのかわからない学校じゃなく、普通科進学校にいっとけ」と勧めてきて、普通科に行く…そして赤点取りまくる普通科3年間。全く楽しくなかった、泣笑。
高校入学と同時に、岡山出身で東京で大活躍されているクラシックサックス奏者の仲田守先生に月2くらいのペースで岡山でレッスンしてもらい始め(なんと毎月岡山に帰ってきてくれていた)、サックスの基礎を徹底的に叩き込んでいただいた。
仲田先生のレッスン本当厳しくてレッスン前に必ずお腹痛くなる…とかだったけど、「プロになります!」と初回レッスンで言い切った手前休んでる場合じゃない…てか休んだ後の先生がその前の何倍も怖かったので休めず(笑)、歯を食いしばってレッスン通った。
志望大学をどうやって決めたかというと、まず「音大といえば!」の東京芸術大学。そりゃ受けますよ。
そして、芸大の教授が同じく教授を務めている洗足学園大学を第二志望として受験しました。
芸大はやっぱり難関で、浪人する気がなかった私は第二志望の洗足学園に通い始めた訳ですが・・・
「音大に行く」
というのが目標になっちゃってたので、入っちゃったら何やれば良いかわからなくなる、燃え尽き症候群。
そしてクラシックサックスのやる曲はジャンルとしてはクラシックだけど現代曲ばかり。
曲の理解(アナリーゼ)難易度が高すぎて全くわからなくなってしまった。
同級生たちの熱いライバル心にもほとほと疲れ、大学通うのが嫌になる4年間を過ごす。
正直言ってこの4年間で何やってきたのか記憶にないくらいだ。
大学卒業を目の前にして、一応就職活動してみたり、岡山帰るかなぁ・・・なんて悩んでいたら。
同級生で短大を卒業していた友達に「楽器吹くバイトあるけどやらない?」と誘われる。
卒業して、西麻布のバーでバイトを始めた。